山本英典氏(東友会副会長)
〈ニュース05年8月20日付掲載〉

全国十二カ所で原爆症認定集団訴訟

 
 原爆症の認定を求める集団訴訟は、百六十六人の原告によって全国各地の十二カ所の裁判所でおこなわれています。しかし東京では三〇人の原告のうち、すでに五人の方が亡くなり、全国的には十二人の方が亡くなられました。高齢・病弱が多く本人尋問を急がないと間に合わないという状況にあります。
 原告団、弁護側も裁判を急いでいますが、松谷英子さんの裁判は十二年、東数男さんの裁判は五年かかりました。
 原告は、様々な思いを抱いて集団訴訟に立ち上がりました。その思いは大別するとつぎのような点にあると思います。

 
原爆被害を招いた ものへの怒り

 提訴に踏み切った原告の思いの一つに原爆被害をつくりだしたものへの怒りがあります。
 戦争によって原爆が投下されたわけで、日本政府は戦争を起こした責任、原爆投下を招いた責任にもとづいて被爆者に対して償いをすべきだと言うことを私たちは主張し続けています。
 しかし政府は、「原爆被害は受忍すべきだ」とという、いわゆる「受忍」政策をとっています。
 七月六日の中国「残留孤児」裁判の判決では、判決文に「(戦争犠牲は国民が)受忍すべきだ」ということが明記されました。
 原爆被害者に対しては、基本懇(厚生労働大臣私的諮問機関「原爆被害者対策基本問題懇談会」)が「受忍」にふれているだけで、裁判の判決では受忍にふれたものはありません。
 憲法九条で守られるべき平和がもし崩され、戦争することになれば、国民は戦争犠牲への受忍義務を強いられることになります。
「憲法九条の改悪で新しい犠牲者をつくることになるのではないのか」という不安、怒りが私たちの原爆裁判を支えています。

原爆被害の過小評 価は許せない

 第二は、原爆被害の過小評価という問題です。国はこれまで原爆症認定については爆心地から2キロ以内の直接被爆者にほとんど限定し、2キロを超えると放射線の影響はないという立場をとってきました。増田善信さん(気象学者)が奮闘された「黒い雨地域」についても、一定の症状になれば被爆者手帳を交付しましたが、原爆症認定は一つもありません。
 また松谷英子さんが被爆したのは2・45キロ地点ですので、松谷裁判の勝利判決をうけて、原爆症認定は2・45キロまでは延びるかと思ったんですが、むしろ逆立ちして1・3キロ地点での被爆者の原爆症認定も却下されています。
 東数男さんは1・3キロ地点の被爆ですが、C型肝炎の原爆症認定は裁判で救われました。しかし爆心地から800メートル地点で被爆した人のC型肝炎については認定申請は却下されました。私自身は4・2キロ地点での被爆ですから、いまの認定基準では認定却下になります。しかし長崎の長与町は、爆心地から6・5キロです。小学一年生が山道を歩いていたときにピカッときて一人が顔面を焼かれて即死したという話を聞きました。6・5キロの長与でもこんな被害があったのかとびっくりしたんですが裁判をつづけていることでそういう被害のひろがりの事実も明らかになっています。被爆被害の過小評価は許すことができません。 

編集部注

 
「原爆被爆者対策基本問題懇談会」の意見書「原爆被爆者対策の基本理念および基本的あり方について」(八〇年一二月一一日)は、被団協などが求めていた死没者への補償等は「一般戦災者との均衡」を失するとして否定、「現在の保障」についても、放射能障害に限定し、また平和の保障(原爆批判、核兵器否定)についてはまったくふれず、戦争による国民の犠牲は「すべての国民がひとしく受忍しなければならない」と述べた。

(次号に続く)
原爆で招いた
 運動器機能傷害も 認定しない

 第五は、吹き飛ばされて骨折などの運動器機能障害になったのに、骨折したことは認めるがそれは放射線とは関係ないということで認定されないことへの怒りです。たとえば、500メートル地点で被爆した原告は、入院中に被爆したので全身にガラスを浴びて、後傷害が残っていますので申請すると、「ガラスはとれば直るので医療の必要性がない」といい、医療を受けているとして異議申し立てをすると「放射線による起因性がない」と無茶苦茶なことをいって却下しています。この人も 長崎で裁判を起こして争っています。

国は心の傷も
 無視している

第六は、原爆による身体の傷、心の傷が無視されていることへの怒りがあります。
 心の傷は最近、様々な分野で社会的にも注目されていますが、「そんなものは原爆と関係ない」と言って国は原爆症認定を却下しています。


生活上の不安が
 被爆者に重く
 のしかかっている

 第七は生活上の不安もあります。いまの健康管理手当は3万3千円ですが、原爆症に認定されると13万円になりますので、高齢化して収入の道がなくなり、年金もない、病気になっても医療費負担が高くなっている、介護保険も改悪されて負担がふえている。こうして生活の面からも裁判を起こしたいという人もいます。〈次号へつづく〉



〈ニュース05年10月20日付掲載〉

多くの被爆者の
身代わりとして

 第八は、原告になれない人の身代わりとなって、という思いもあります。原告は都市部の方が多く、地方の方が少ないという現状があります。それは地方では原告になると「あの人は国を相手に裁判を起こしている」などと異端者扱いされる。「たいした傷でないのに裁判を起こして」などと心ない周囲の声に差別を感じて提訴しない方が沢山います。深刻な人もいるんですが提訴できないでいます。
 自分たちが裁判をおこない勝つことによって、こういう病気なら原爆症認定を勝ちとれるんだよ、ということをしめしていきたいという思いがあります。

国に責任をとらせ る唯一の方法が
原爆症認定

 第九は、原爆症認定というのは国が認める唯一の制度だということす。健康管理手当は、都道府県が認定して支給します。原爆症認定は、大臣が認定証書をだすんです。被爆者にとっては、国に責任をとらせる唯一の方法が原爆症認定をとることです。

核政策に固執する
アメリカへの怒り

 十番目は、原爆投下にひと言も謝罪せず「原爆投下は正しかった」と言い続け、核実験を重ね、核兵器廃絶を確認しあったNPT再検討会議の結論を空文化しようとし、さらに核兵器開発をおしすすめて、新たな核兵器犠牲者を作り出そうとしているアメリカへの怒りです。
 被爆者が一番してほしいの原爆を投下したアメリカが、被爆者に謝罪し補償することです。
 しかしアメリカは六十年間、原爆投下の正当性をくりかえし、アメリカ大統領は謝罪する気もないと表明しています。これに対して抗議もせず、遺憾とも言わない日本政府。アメリカ相手に裁判を起こしたいという思いもありますがそれが出来ないと言うことなのでせめてアメリカに謝罪してほしいという気持ちは被爆者は強いんです。

  〈ニュース05年9月20日付掲載〉

残留放射能被害も無視することへの怒り

原爆裁判に立ち上がった原告の思いの第三は残留放射能被害を無視することへの怒りがあります。とくに広島、長崎で救護活動に当たった軍人の間に、直爆の被爆者と同じような急性症状がでて、その後も傷害で苦しんでいる事例はたくさんあるんですが、こうした残留放射能被害に対して国は全く無視しています。
 集団訴訟を最初に行ったのは名古屋ですが、名古屋の方は軍人として大竹海兵団から広島に救援に入り病気になった人です。この救援活動をやった人が真っ先に訴訟を行ったと言うところにも、残留放射能被害を無視する国への原告の怒りがしめされています。
             
集団訴訟の原告と
核兵器廃絶運動

こうした思いをもって被爆者は原告になっています。このどれをとっても今の核政策を根本的に転換しなければならない、ということにつながっていきます。原爆裁判の勝利は原告だけの問題でなく核兵器を無くしていこうという人たちの共通の闘いなんだと思います。
 昨年十二月に日本原水協主催の「被爆者を励ます集い」が開かれました。そこで報告した神奈川の原告は、「被爆の体験は何十年間話したことがありません。話したくない。本当に話したくないんです。しかし、兄が昨年死ぬときに『お前はもっとひどかったんだ。立ち上がれ』といいました。

病気を狭く限定す ることへの怒り

 第四は、病気を狭く限定していることへの怒りです。その典型例がC型肝炎です。国はC型肝炎はウィルスによる伝染病だとして、今では健康管理手当の認定からも除外しています。
 東さんの裁判で、ようやく原爆症として認定されましたが、他の人のC型肝炎は全く認められていません。前号で紹介しました800メートル地点で被爆した東京の方は、肝ガンでは認定されましたが、その認定の文書で「肝機能障害については却下」すると書かれていました。 C型肝炎は800メートルの人でも認めないという姿勢を今でもとり続けている。このように病気を狭く限定して放射線との関係を認めようとしない。このことに多くの被爆者が怒っています。


それじゃやろうと思って、今年から話をするようになりました。」そして、友達から「お前何で生きているんだ。生きているわけがない」と言われるほど、奇跡的に生き残って、苦しみながら暮らしてきた六十年を証言しました。
 いま被爆六十年を迎えて、これ以上黙っていることはできない、と証言者になって立ち上がった人もいます。
 いま被爆者はいろいろなところで、核兵器のない社会を願って被爆体験の本を出したり、墓参をしたり様々な運動をつよめています。「世界のどこにも核による被爆者をつくってはならない」と思うからです
〈完〉