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安部愃三(化学者、東京非核政府の会常任世話人) |
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@核兵器のしくみ・・・
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E原爆投下目標地の変遷
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A核爆発のすさまじさ
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FABCCは冷酷な被爆調査機関
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B水素爆弾(水爆)とは
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G世界の核弾頭数は現在3万発超える
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C存在するだけで危険な核兵器
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H米未臨界核実験から地下核実験へ
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D最初の原爆報道とその後の経過
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I核廃絶を先頭きって言える日本に
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@ 核兵器のしくみ・・・・・・・・ | ||||
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広島、長崎で多くの人を殺傷した核兵器は、原子核の核分裂の原理を兵器に利用したものです。 ウランの原子核が、核分裂を起こすことがわかったのは比較的最近で1938年12月。 ウラン235やプルトニウム239の原子核は、1個の中性子がぶつかると分裂し、2個〜3個の中性子と大きなエネルギーを放出します。飛び出した中性子は、別のウラン235(またはプルトニウム239)の原子核にぶつかって、さらに分裂しねずみ算式に分裂をくり返します。つまり連鎖的な核分裂がごく短時間に起こります。これによって、瞬間的に高い熱や人体に危険な放射線など非常に強大なエネルギーを生み出します。この原理を兵器として利用して原子爆弾(原爆)を開発したのがいわゆるアメリカの「マンハッタン計画」(1942年)といわれるものです。 |
発生するエネルギーを1グラムあたりで比較してみましょう。石炭は7.8`カロリー。ところがウラン235の核分裂エネルギーは、2000万`カロリー、実に石炭の256万倍です。しかも石炭、石油、天然ガスなどは、酸素と結びつく化学反応のエネルギーですが、核反応は原子核の不安定さを助長させて連鎖的な核分裂を起こさせる核エネルギーです。両者は質やレベルの違うものです。 原爆は、熱線、爆風とともに放射線をだし、大きな被害を生みますが、放射能をもつ核分裂生成物(死の灰)も生成し被害を与えます。原爆の材料のウランや核分裂生成物の放射能は時間とともに減りますが、中には長いものもあります。放射能が半分に減るのに要する時間(半減期)は、ウラン235は7億8千万年、プルトニウム239は2万4100年、ストロンチウム90は29年です。 |
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A 核爆発のすさまじさ |
B水素爆弾(水爆)とは |
水爆は巨大エネルギーを発生する核融合を利用 核兵器には原爆と水爆(水素爆弾)があります。原爆は、ウランやプルトニウムの核分裂(大きな原子核が割れる)の際に発生する巨大エネルギーを利用します。 水爆は重水素や三重水素のような軽い原子核がぶつかってひとつの重い原子核になる(核融合)ときに発生する超巨大エネルギー(原爆の10倍程度)を利用します。「太陽が燃えている」と言われますが、太陽も核融合反応で光っているのです。 核融合反応を起こさせるには莫大なエネルギーが必要で、現在の水爆は原爆の爆発を利用しています。そのため、現在の水爆の構造中には必ず原爆を含んでいます。 |
下図は3F爆弾と言われる水爆で、原爆の爆発(核分裂)→水爆部分の爆発(核融合)→周囲のウランの爆発(核分裂)という3段階での爆発を伴います。核分裂をfisson、核融合をfusionということから3F爆弾といいます。この3F爆弾は、核分裂生成物(死の灰)を大量に発生するので「汚い」水爆といわれています。 下図中のLiDは重水素化リチウム,LiTは三重水素化リチウムという核融合物質です。これは白い粉末で、その量を増やせば増やすほど爆発力が大きくなります。たとえば、多数の日本漁船が被曝した1954年3月1日のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験では、ブラボー・ショットと呼ばれる水爆の爆発力は実に15メガトン、長崎原爆の670倍にもなります。 |
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C存在するだけでも危険な核兵器 |
核兵器を配備するのは、核兵器を使うためです。 しかも、核兵器は存在するだけで危なかったことが数多く知られています。 1961年、アメリカのノースカロライナ州で演習中のB52爆撃機が水爆2発を落としたことがありました。6つの安全装置のうち、5つまではずれてしまっていたのです。1965年、ベトナムの北爆に参加した空母タイコンデロガが横須賀に向かう途中、沖縄近海で水爆を搭載した艦載機スカイホークをパイロットごと海に落としてしまいました。 一部の人は、「日本には非核三原則があるから、米艦船が日本に寄港するときには核兵器をどこかで降ろして積んでいない」といいますが、いちいち核兵器を日本国民のために降ろすことなどという気持があったら、核兵器を保有することなど考えないでしょう。 1980年、アメリカのアーカンソー州の大陸間弾道ミサイル(lCBM)タイタンU発射基地で作業員がスパナを落としたことからロケット液体燃料が爆発し先端の水爆弾頭が吹き飛ばされたため、半径16qの住民は全員退避させられました。 爆発力は1メガトン。1発で首都圏が全滅する爆発威力です。 |
1990年、房総半島から約130q離れた太平洋上で空母ミッドウエーが爆発を起こし、3名が死亡、15名が重軽傷を負ったという事故がありました。鎮火に12時間を要したというのですが、爆発現場は弾薬庫から15mしかなく、そこには特殊弾薬庫、つまり核兵器があったのです。核兵器は爆発すればたいへんですが、火災で燃えただけでも酸化したプルトニウム(現在の核兵器中の核物質はほとんどがウランではなくプルトニウムと考えられます)が気流に乗ってどこまで飛んでいくか判らないからです。プルトニウムは肺に入って肺がんを起こし、また放射能が半分にまで下がるのに2万4千年かかります。6月20日に起きたミッドウエーの爆発事故で、もし核物質が燃えていたら、南関東は南風の影響で人の住めない土地になっていたかもしれないのです。 | |
D最初の原爆報道とその後の経過 |
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されたのを世界が知ったのはアメリカのトルーマン大統領によるラジオ放送によってでした。「日本は原子爆弾の威力を思い知らされた。我々の警告を無視したからだ」と言い、降伏しなければ次々と落としていく、と恫喝しました。当時アメリカは3発の原子爆弾しか持たず、1発目はアラモゴートの砂漠で実験に使っており、次つぎに落とすことはできなかったが、放送ではそう言ったのです。 日本の海外向けラジオ放送であるラジオ・トーキョーはただちに戦略的にこれを切り返しました。翌日の午後には広島の惨状を伝え、アメリカの非人道的な原子爆弾の投下に激しい非難の声をあびせたのです。 「太陽が昇ってまもなくだった。市民は職場に向かっていた。小学生は校庭で体操をしていた。アメリカ軍は冷酷にも最悪の時刻に攻撃したのだ。人びとはやけどで皮膚がただれ、苦しみもがいている。 原爆投下後、広島上空には黒い煙しか見えないとアメリカの偵察機は報告した」。 この報道に対して世界の新聞論調はいっせいにアメリカを非難する記事を掲載しはじめました。ニューヨーク・タイムズは「原爆の放射能で3万人が死亡。救援にかけつけた人までさまざまな病気に苦しめられている。広島は死の街と化した」と伝えました。 |
イギリスのサンデー・エクスプレスでバーナード・ショウは「原爆で日本に戦争をやめさせる効果はあったかもしれないが、原爆は武器として使用するには非人道的だ」とアメリカを非難しました。 こうした世界のマスコミの激しい非難の声を受けて対応に苦慮したマンハッタン計画の責任者グローブス将軍は最初の原爆実験地にオッペンハイマー博士を伴ってあらわれ、残留放射能はほとんど消えていると嘘の報道をさせて、日本で言われている「放射能で人が死んでいる」というのは科学的でないのだ、と強く否定したのです。この嘘はアメリカの引き続く核開発で多くの自国の核実験参加兵士たちに被曝の苦しみを与えました。兵士たちは何も知らされていなかったのです。 |
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E原爆投下目標地の変遷 |
原爆を投下するための目標選定委員会の対象地となったのは日本の全都市であったと言っていいのです。原爆製造計画は急速に加速されていき、終戦の年、1945年末までには20発の原爆を製造するとマンハッタン計画の責任者であるグローブス将軍は陸軍参謀総長に報告しています。 45年5月12日の目標選定委員会では最終的な投下候補地を決めました。広島、小倉、新潟、長崎、横浜、京都の6都市でした。8月6日の広島への原爆投下までには細かな目標地の変遷がありましたが、常に3から4カ所が設定されていました。横浜は早くからはずされ、長崎は最終段階になってから投下目標になったようです。ずっと目標地になり続けたのは広島、小倉、新潟だったのです。 原爆投下部隊はテニアン島に配置された第509混成群団で総兵力1767人、1947年7月に解散するまで極秘扱いの部隊でした。 さて、この混成群団は原爆投下に当たって、日本全土で原爆投下作戦を同年7月20日から8月14日(終戦の前日)まで行っていたことはあまり知られていません。全国を新潟、 |
広島、京都地域に分け1から18までのミッションとして50機のB29爆撃機を使い、49発の1万ポンド(5トン)という巨大模擬爆弾を次つぎと投下していったのです。 いわき市、福島市、東京駅八重洲口、新潟、富山、静岡、大阪、京都、愛知、三重、愛媛、などに巨大模擬爆弾を1ヶ月足らずのうちに落としていったのです。ミッションの中の13番目が広島への原爆投下、16番目が長崎への原爆投下となっています。リハーサルを充分やってからの投下だったのです。 B29の飛行高度は1万メートル、日本の飛行機の到達できない高度であり、迎撃に上がっていく戦闘機もほとんどないような戦況だったのです。 日本中の都市が原爆でねらわれていた、の認識は核兵器に対するさらなる廃絶のおもいを高揚させるものと思います。東京駅八重洲口への投下では、1名死亡、62名が負傷しているということです。 |
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FABCC(原爆障害調査委員会)は冷酷な被爆調査機関 |
原爆が投下され、戦争が終わった後の45年9月6日、ファーレル准将が帝国ホテルで声明を発表しています。「広島・長崎では死ぬべきものは死に、9月上旬現在、放射能のため苦しんでいるものは皆無である」というもので、アメリカはその後一貫して放射能の後障害を否定していきます。これが30万を超える自国の核実験参加兵士の被曝、人体実験につながっていくわけです。 9月19日にはプレスコードを指令、以後のいっさいの内外での報道は禁止され、また日本政府も被爆者の救済など全くおこなわなかったのです。 47年、アメリカはABCC(原爆傷害調査委員会)を設置して被爆者たちの障害の推移を観察したが治療はしていません。 設置の目的は来るべきソ連との核戦争における人体への影響を詳細に調べておくことだったのです。 私は旧ソ連のセミパラチンスク核実験場の調査に行きましたが、ソ連は自国民に対してではあるけれど、同様の施設をつくり、追求されたときの言い訳のための設置だったとの責任者の言を聞いてきています。治療は全くされませんでした。 |
1954年のビキニ環礁における水爆実験でも被曝した島民の身体をくまなく調べた米兵はそれが終わると立ち去ってしまいました。 これらの事実に対して「当時は放射線障害がどのようなものなのかわかっていなかったから」とわけ知り顔に言う人がいます。今でもわからないことはあるのですが、当時からそのほとんどを知りながらやってきたのです。なぜ「核」になると連中は非人道的なことを平気でやれるのでしょうか。広島・長崎や原水爆実験、チェルノブイリ原発事故、また、東海村JCO臨界事故などからいっそう詳しく放射線の人体への影響がわかってきています。私は大学での「環境科学」などの講義で必ずこれらの内容を入れています。「小中学校からこれらのことを教えるべきだ」「核保有国の首脳たちに原爆資料館を見せるべきだ」と多数の学生たちは書きます。若い人たちには正しく伝えるべきです。 |
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G世界の核弾頭数は現在3万発を超える |
核弾頭数は常に推定数でしか得られないのは最高の軍事機密に属するからです。それをいっそうあいまいにしたのは、今年はじめのアメリカの核態勢見直し(NPR)です。アメリカの核兵器の現在数について、その詳細を見ていきましょう。 戦略核(相手国を直接攻撃できる)は6480発。そのうちICBM(大陸間弾道ミサイル)1700発。この中にはミニットマンV(核弾頭はW62とW78、核弾頭はWで表示)やピースキーパー(MXミサイル、1つのカプセルに10発の弾頭。レーガン大統領お気に入り)が含まれます。 これらの核弾頭の爆発力はW78で335キロトン(広島原爆は15、長崎原爆は22キロトン)ですから、広島原爆の22倍です。SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)は3120発。トライデントIとU型潜水艦で、W88は475キロトン。広島原爆の32倍の爆発力になります。爆撃機に搭載されている核爆弾は3種類1660発。最も爆発力の大きなものはB83−1(核爆弾はBで表示)で実に1200キロトン(1.2メガトン)。広島原爆の80倍の爆発力です。ALCM(空中発射巡航ミサル)は合計860発です。ICBM、SLBM、爆撃機搭載核兵器までが戦略核です。 非戦略核にはSLCM(海洋発射巡航ミサイル)とACM(新型巡航ミサイル)がそれぞれ430発とB−61系統の核爆弾が800発あります。 |
この他、作戦配備からはずされたもので、すぐに実戦配備できるものが約320発、これが米ロ削減条約で削減されたかのように言っているものです。検査などのために第一線を退いているのが約380発。これはすぐに復帰できます。周辺のものを取り外した核弾頭が約2700発。急ぐ場合には復帰できるものも含まれています。部品として存在している核が5000くらいあるようです。 アメリカの核弾頭数は10680発と見積もられています。 一方、ロシアは戦略核4950発を含む18000発とカウントされています。ここでも多くの不明瞭な部分がありますが、核兵器の維持・管理ができずに貯蔵されているものが多くなっているように見受けられます。中国は戦略核270発を含む390発。この中には数メガトンのドンフォン(東風)などがあります。フランス350発。イギリス200発。よくわからないのがイスラエル、インド、パキスタンで、中・短距離ミサイルや航空機で運搬するのでしょうが、数は順に100〜300、30〜35、24〜48発と推定値に幅があります。 いづれにしても地球にはなお3万発を超える核弾頭が存在、危険な状態は続いているのです。 |
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H米・未臨界核実験から地下核実験へ |
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アメリカは現地時間9月26日にネバダ州の地下核実験施設で今年4回目、ブッシュ政権になって6回目の未臨界核実験を強行しました。米エネルギー省(DOE)は実験の理由を「貯蔵核兵器の安全性と信頼性を維持するための不可欠な行為」と相変わらずの説明を繰り返しています。特に「信頼性」とは、放射性物質は寿命があるので、時間経過とともにプルトニウムが劣化していくため、ときどき実験してみなければいけないということなのですが、今回の場合にはそれだけではないことが明らかになっています。これは今年1月9日にフライシャー大統領報道官が地下核実験モラトリアム(一時停止)を続行するが、将来、実験を再開する可能性は排除しないとし、その後の報道では地下核実験再開に向けて大統領から求められれば短期間で核実験が行えるよう準備に入ったと言われており、実質的に地下核実験再開に向けて動き出しているものと思われるからです。
さて、未臨界核実験とは何なのかについても少し解説をつけておきたいと思います。 核分裂が次つぎと起こることを連鎖反応といいますが、連鎖反応が維持される条件になれば「臨界」が達成されたことになります。臨界状態になってはじめて原爆は爆発することになりますし、原子力発電の運転が可能になります。99年の東海村JCO臨界事故は使用する細い容器を使えば、 |
中程度の濃度のウランならば臨界を起こさないという形状管理はあったにもかかわらず、経験者のリストラと作業効率向上のみを考えた経済優先からきた手抜きがもたらした事故でした。 固体のウランやプルトニウムなとの核分裂物質には臨界量、つまり、それ以上の塊になれば臨界に達して爆発してしまう量がわかっていますから、それ以下の塊にしておいて、それらを合体させるか、あるいは圧縮させて臨界を越させることになります。 未臨界核実験ではプルトニウムの塊を置いて、そばにある火薬を爆発させ、圧縮されたブルトニウムの核分裂反応の仕方を詳細に観測します。反応は起こっても臨界になるほどのプルトニウムを置かないのです。つまり、爆発はさせません。それだから未臨界核実験あるいは臨界前核実験といいます。 さて、今回の未臨界核実験が従来のものと異なるのは核兵器の維持・管理だけでなく、明らかに新型核兵器開発のために実験を行ったことです。アメリカは爆発させないからCTBT(包括的核実験禁止条約)に違反しないと言ってきました。この条約の前文には「新型核兵器の開発を中止させ」とありますから、新型核兵器を開発して先制核攻撃をするアメリカは条約にはとどまれないことになります。世界の核兵器NOの声をアメリカに集中させねばなりません。 |
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I核廃絶を先頭きって言える日本へ |
今年も国連総会第一委員会では新アジェンダ連合提案の新アジェンダ決議、日本、オーストラリアなど九カ国共同提案の「核廃絶への道程」決議、ICJ(国際司法裁判所)フォロー決議の三本の核軍縮決議が圧倒的多数で採択されました。 新アジェンダ決議は、賛成百十八、反対七、棄権三十八で採択されましたが、日本は棄権、米、英、仏、インド、パキスタン、イスラエルなどが反対、中国は賛成、ロシアは棄権しました。一方、日本決議案は主文は昨年と全く同じで新味のないものでしたが、賛成百三十六、反対二(米、インド)、棄権十三(中国、パキスタン、イスラエル、新アジェンダ連合など)で採択されています。アメリカはあらゆる核軍縮決議に反対していますが、昨年同様、日本決議案にも反対し、アメリカべったりの外交姿勢の日本はまたもやそのアメリカに裏切られました。この日本案にはロシア、英、仏、NATOなどは賛成しているのです。日本案に棄権票を投じた新アジェンダ連合は、「核兵器完全廃棄の明確な約束」が将来のものにされてしまっていることをあげています。相変わらずの日本の究極廃絶の本質が見抜かれています。中国は棄権した理由に、「最大の核保有国が第一義的に核軍縮をする責任があるのにそれを言っていない」、「核の第一使用や先制攻撃の放棄を要求していない」ことなどをあげています。核保有国でありながら、中国はまともです。インドは相変わらずNPT(核不拡散条約)体制への批判から反対を表明しています。アメリカはCTBT(包括的核実験禁止条約)を問題にしていますが、これは未臨界核実験の項で書きました。 |
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