非核・平和都市宣言
私たちは生きている。
 多くの人々が、それぞれの習慣や宗教をもち
 様々な考え方と、異なる環境の下で生活している
 この地球で/私たちは持っている。
 この地球上で、健康で幸せな生活をする権利を
 異なる考え方の人々を差別しない義務を
 私たちは知っている。
 多くの人々が、今なお戦争で傷つき命を失っていることを
 住みなれた平和な生活の場を追われて飢えていることを
 私たちは訴える。/必要なのは笑顔での話し合いであることを
 必要なのは人類愛と思いやりであることを
 私たちは宣言する。
 
 



あらゆる人を傷つける地雷や武器をなくすことを
 あらゆるものの破滅を招く核兵器をなくすことを
 地球上から戦争をなくすことを
 私たちの市民のこの声と願いを
 世界に広く訴えるために
 非核・平和都市 西東京市の
 宣言とする。



平成14年1月21日  西東京市





2011年9月調査
 2011年9月調査 
平和首長会議=加盟     日本非核宣言自治体協議会=加入 
 平和事業名
 実施期日 実施主体、他 
西東京市平和の日事業 8月
非核・平和パネル展 8月、3月
広島平和の旅 7月
夏休み平和映画会 8月
ピースウォーク 8月、3月
非核・平和学習会 未定
「西東京市戦災パネル展」 11月、2月
「市民の戦争体験記」の作製 7月
朗読劇(平和をテーマにした) 8月
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田無駅北口の「平和リンク」

この駅付近一帯が、空襲で大きな被害をうけた。その惨禍を忘れないために「平和リンク」が設置された。

2004年11月取材
空襲の大惨禍を風化させないために
「西東京市平和の日」を制定

二〇〇一(平成13)年一月、田無市と保谷市が合併して、西東京市が誕生しました。
 戦前、西東京市域には中島飛行機の関連工場など、軍需工場が進出。米軍機による攻撃にさらされました。とくに終戦の年の四月十二日、この地域には大規模な空襲が襲い、西武新宿線田無駅付近(死者五三名)をはじめ、西東京市域では一五〇名近い住民が命を落としました。 西東京市は、この日を「西東京市平和の日」と定め、「戦争の体験を風化させることなく、平和の意義を語り継ぐ」(「広報西東京」)ために、「毎年『平和』を心に刻む行事(広報西東京)をおこなっています。

市内戦災に関するパネル展

 今年は四月十日から十二日までの三日間、田無駅北口アスタセンターコートで「市内戦災に関するパネル展」が開催されました。パネル展には、市内爆撃位置図、戦時中の写真パネル、爆弾の破片(実物)等が展示され、訪れた人に改めて平和の大切さをよびおこしています。
 また会場では、「平和の日コンサート」も開催されました。今年は初日に女性合唱団「ふぁーら&こだま」、「ハーモニー」による「コンサート名曲コーラス」が、二日目、三日目には「日本雅楽会」による「雅楽の調べ」が演奏され多くの市民が聞き入りました。
被爆都市ー広島、長崎への
平和の旅を実施

西東京市は、「西東京市平和推進に関する条例」(二〇〇一年一月制定)にもとづいて、毎年、市民を被爆都市に派遣してきました。昨年度からは、若い世代に戦争の悲惨さや平和への思いを継承しよう、と青少年を派遣することにしました。昨年度の「広島平和の旅」には、十三名の若者が、今年度の「長崎平和の旅」には十四名の若者が参加しました。参加者の感想文などを中心に「報告集」が作成されています。

 

 この被爆地への訪問は、若者たちに大きな衝撃と平和へのつよい思いを呼び起こしています。昨年度の「広島平和の旅」に参加した若者たちは、自分たちが感じた平和への想いを形に残そうと、平和の歌ー「未来の空へ」をつくりました。作詞も作曲も全部参加した若者たちの手作りで、今年の平和の日コンサートで披露されました。 
非核・平和映画会
ピースウォークも実施


 八月には非核・平和映画会もおこなわれています。今年は二十二日に「戦場のピアニスト」が上映されました。映画会では、「平和の旅」の報告もあわせておこなわれました。
 また、西東京市が毎年、恒例平和事業として、中島飛行機殉職者慰霊碑(東伏見稲荷)などの市内の戦跡、戦災地域を訪ねる「ピースウォーク」(九月に実施)もおこなわれています。

市民の会との共催で

 こうした市の平和事業の多くは、市民で構成する「非核・平和西東京市民の会」との共催ですすめられています。「市民の会」は、思想、信条をこえ市とともに平和な世界実現をめざす趣旨に賛同するすべての市民に門戸が開らかれています。