空襲の大惨禍を風化させないために
「西東京市平和の日」を制定 |
二〇〇一(平成13)年一月、田無市と保谷市が合併して、西東京市が誕生しました。
戦前、西東京市域には中島飛行機の関連工場など、軍需工場が進出。米軍機による攻撃にさらされました。とくに終戦の年の四月十二日、この地域には大規模な空襲が襲い、西武新宿線田無駅付近(死者五三名)をはじめ、西東京市域では一五〇名近い住民が命を落としました。 西東京市は、この日を「西東京市平和の日」と定め、「戦争の体験を風化させることなく、平和の意義を語り継ぐ」(「広報西東京」)ために、「毎年『平和』を心に刻む行事(広報西東京)をおこなっています。
今年は四月十日から十二日までの三日間、田無駅北口アスタセンターコートで「市内戦災に関するパネル展」が開催されました。パネル展には、市内爆撃位置図、戦時中の写真パネル、爆弾の破片(実物)等が展示され、訪れた人に改めて平和の大切さをよびおこしています。
また会場では、「平和の日コンサート」も開催されました。今年は初日に女性合唱団「ふぁーら&こだま」、「ハーモニー」による「コンサート名曲コーラス」が、二日目、三日目には「日本雅楽会」による「雅楽の調べ」が演奏され多くの市民が聞き入りました。
西東京市は、「西東京市平和推進に関する条例」(二〇〇一年一月制定)にもとづいて、毎年、市民を被爆都市に派遣してきました。昨年度からは、若い世代に戦争の悲惨さや平和への思いを継承しよう、と青少年を派遣することにしました。昨年度の「広島平和の旅」には、十三名の若者が、今年度の「長崎平和の旅」には十四名の若者が参加しました。参加者の感想文などを中心に「報告集」が作成されています。
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この被爆地への訪問は、若者たちに大きな衝撃と平和へのつよい思いを呼び起こしています。昨年度の「広島平和の旅」に参加した若者たちは、自分たちが感じた平和への想いを形に残そうと、平和の歌ー「未来の空へ」をつくりました。作詞も作曲も全部参加した若者たちの手作りで、今年の平和の日コンサートで披露されました。
八月には非核・平和映画会もおこなわれています。今年は二十二日に「戦場のピアニスト」が上映されました。映画会では、「平和の旅」の報告もあわせておこなわれました。
また、西東京市が毎年、恒例平和事業として、中島飛行機殉職者慰霊碑(東伏見稲荷)などの市内の戦跡、戦災地域を訪ねる「ピースウォーク」(九月に実施)もおこなわれています。
こうした市の平和事業の多くは、市民で構成する「非核・平和西東京市民の会」との共催ですすめられています。「市民の会」は、思想、信条をこえ市とともに平和な世界実現をめざす趣旨に賛同するすべての市民に門戸が開らかれています。
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