動物も浅草寺も戦争の被害を受ける

東京非核政府の会ニュース218号掲載 05.10.20付


戦時下 上野動物園に動物殺害命令

 戦争は、動物にも大きな犠牲を強いました。
 本土への空襲が激しくなってきた一九四三(昭和18)年当時、全国の動物園には空襲下で動物が凶暴化するおそれや食糧難を理由に猛獣を殺すよう命令がでました。
 上野動物園にも東京都から、象のトンキーやワンリーをはじめ、ライオン、トラ、カバなど二十六頭に対して殺害命令が出されたのです。

象のトンキーの死

 ライオンやトラは毒殺されました。ところが象のトンキーは、毒入りの餌を食べず、結局、餓死させることになりました。餌を与えられないトンキーは、飼育員が近づくたびに、芸をすれば餌をくれると思って足を折り、鼻を高々と上げて餌をねだりました。次第にやせ細ったトンキーは、一九四三年九月二十三日、ついに餓死しました。
 こうしたトンキーたちのつらい体験は、絵本「かわいそうなぞう」やアニメ映画「象のいない動物園」にもなりました。
 戦争の犠牲になった動物、病死した動物などを慰霊する動物慰霊碑が園内にあります(写真上)。
 上野動物園では、今年の九月のはじめ、「象殺害の回想録」などを展示した「戦後六〇年企画展」が開かれました。
 
 
本堂、山門などが 消失した浅草寺

東京で最も古い寺といわれる浅草寺。その起源は、六二八(推古天皇36)年、漁師の兄弟が隅田川から拾い上げた観音様を土師中知(はじの なかとみ)が堂を設けて安置
したのが始まりと言われています。
 この浅草寺も戦争の痛ましい被害を受けました。
 一九四五(昭和20)年三月十日、東京大空襲で下町は壊滅状態に陥り、死者一〇万人、負傷者十一万人、一〇〇万人が家を失いました。
 この東京大空襲で、浅草寺もまた、本堂、山門、五重塔、御輿など、全て消失しました。この戦争犠牲者を慰霊し、戦争のない社会を願い一九四九(昭和24)年四月、本堂の脇に「平和地蔵」(写真左上)が建立されました。
 その碑文には「第二次世界大戦 その規模においてもその被害においても まことに甚大であった ことに昭和20年3月10日の大空襲には この付近の横死者の屍が累として山をなし その血潮は川となって流れた その惨状はこの世の姿ではない これらの戦争犠牲者の霊を慰めることこそ 世界平和建設の基となるものである ここに平和地蔵尊を祭り その悲願を祈るため 昭和24年4月ここに安置された次第である」とあります。

上野公園、寛永寺、東照宮の平和モニュメント

 こうした東京大空襲を風化させず、平和への強い思いを込めたモニュメントが上野公園界隈にいくつかあります。
 エッセイストの海老名香葉子さんが尽力した「時忘れじの塔」(上野公園内=写真右)「哀しみの東京大空襲」碑が上野・寛永寺に建立されています。
 上野・東照宮には、能舞台わきに「平和の鳩」のモニュメントと「広島・長崎の火」が灯されています。