飛行機の防空壕     掩体壕(えんたいごう)

この項は「調布飛行場の掩体壕を保存する会」上野 勝也さんに執筆していただきました。
東京非核政府の会ニュース215号 05.7.20付

 首都決戦に備えて 飛行機温存めざす

調布飛行場は、戦時中陸軍飛行場として首都東京を防衛する重要基地でした。主に戦闘機部隊の3式戦闘機「飛燕(ひえん)」が配置されていました。本土空襲が激し<なる中で、高々度で飛来するB29爆撃機に対し高射砲弾はとどかず、迎撃する戦闘機も「体当たり」戦術で抵抗しましたが、犠牲が多く成果をあげることができませんでした。軍は戦況悪化にともなって、来るべき「本土決戦」に備え、残り少ない貴重な飛行機を温存し、敵の空襲から守るようこれら掩体壕(注:空襲から飛行機を護るためにつくられた格納庫)を急いで造るようになりました。

 
60基つくられた 調布飛行場の掩体壕

 調布飛行場の場合は一九四四年六月から九月にかけて「東部軍経理部特設作業隊」と建設会社の「清水建設」、「大倉土木」(現大成建設)等が中心になって、コンクリート製掩体壕(有蓋)約30基造成した記録が残っています。また、コの字型の土塁方式の掩体壕(無蓋)が約30基造られ、それには地元の植木組合や中学生が大勢動員されました。(現在この「無蓋掩体壕」は残っていません)
 掩体壕のしくみ

 掩体壕の大きさは、幅約17b、奥行き12b、高さ4b、厚さ30〜40センチメートルで「かまぼこ型」の形をしていて、単発の戦闘機1機収納できる広さです。
 掩体壕は、飛行場周辺に分散して配置され、滑走路と「誘導路」でむすばれていました。滑走路までは人力で運んだといいます。
 掩体壕の造り方は、まず「土まんじゅう」の山をつくり、よくかためた上で、板・鉄筋を組んでセメントをうちセメントが固まった後、中の土をかき出して上面にかぶせる。そして草木などを植え偽装して完成しました。





 
府中、三鷹に 4基が残っている

 現在残っている掩体壕は、府中市に2基、三鷹市に2基の合わせて4基です。府中市の2基は個人の所有で、一つは「物置」
(写真左下)に、もう一つは鉄工所の作業場に使用しています。ともに少し補修しているので、保存状態は良い方です。三鷹市の2基は、「調布苗圃(びょうほ)」(写真上=入り口付近、写真下はその内部)内の都有地にあります。60年間手つかずだったので、損傷が激し<、一部鉄筋が欠落しています。都の計画では「武蔵野の森公園」内に1基は保存する予定になっています。その場合、何らかの補修が必要でしょう。
 現在、全国の旧陸海軍飛行場には、100基以上の掩体壕が確認されています。保存状態は様々ですが、宇佐(大分)、茂原(千葉)等では、この掩体壕を市の文化財として「史跡指定」しています。戦争遣跡を通じて多くの市民に戦争の歴史を伝え、学び合うことは大切だと思います。