今回は、多摩地域の戦争遺跡の代表例ともいうべき東大和市の「日立航空機立川工場変電所跡」を紹介します。
西武拝島線または多摩モノレールの玉川上水駅で下車、徒歩五分ほどの距離に都立東大和南公園があります。公園内の体育館の南側に、その遺跡はあります。
建物の壁には、無数の弾痕があり目を引きます。これは何度か繰り返された爆撃や機銃掃射によってできたものです。
この建物を含む工場は、一九三八年(昭和一三年)に、東京瓦斯電気工業株式会社の工場として稼動を始め、翌年、合併にともない日立航空機株式会社立川工場となったものです。工場では、戦闘機の発動機(エンジン)を製造していました。
アジア太平洋戦争末期の一九四五年になると、この工場も空襲の被害を受けるようになり、二月一七日、四月一九日、二四日の三回、機銃掃射および爆撃を受け、工場は壊滅、従業員一一一名が犠牲となりました。
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戦後、この工場は一時米軍に接収されましたが、その後は経営母体が交代しながら、変電所ならびに給水塔については、一九九三年まで、ほぼ戦時中の姿のまま使用され続けました。最後は小松ゼノア株式会社の所有となっていましたが、市民による文化財指定と保存を求める地道な運動が紆余曲折を経ながらも実を結び、一九九五年に変電所については東大和市指定史跡となりました。
しかし、残念なことに隣接していた給水塔(表面は迷彩色に塗られていた)は二〇〇一年に取り壊されました。現在は、給水塔の一部(残骸)が変電所敷地内に移設されています。変電所の方は、保存の対策が施され、現在は都立東大和南公園内に位置しており、誰でもが見ることができます。
また、東大和市は、朝鮮戦争下には空軍基地となった歴史があり、玉川上水駅北口駅前には、そのモニュメントがあります。
なお、変電所跡は、内部を公開することもありますので、詳しくは東大和市立郷土博物館(電話〇四二ー五六七ー四八〇〇)にお問い合わせ下さい。
【参考文献】
○ 十菱駿武・菊地実編『しらべる戦争遺跡の事典』柏書房、二〇〇二年
○ 東大和市史編さん委員会編『軍需工場と基地と人びと・東大和市史資料編1』一九九五年
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