地下鉄「九段下」駅を地上に出るとすぐ近くに九段会館(写真右)があります。近くには靖国神社、千鳥ヶ淵戦没者公園、武道館などがあります。

 九段会館は、一九三四年(昭和9)年に川元良一氏の設計で予備役や後備役の軍人の収容・訓練の場として建設され、「軍人会館」と呼ばれました。
 一九三四年といえば、前年には日本が「国際連盟」を脱退し、翌々年にはドイツと「防共協定」を締結するという、一路侵略戦争に突き進んでいるときでした。


 
こうした国粋的な建築様式に対しては、若手建築家の間からは批判も強まり、新しい建築運動も起こりましたが、治安維持法下でマスコミなどから「赤の動き」と報じられ解散してしまします。

 この軍人会館は、青年将校に率いられた兵士千四百人余りが、時の総理大臣等を襲撃し、高橋是清蔵相らを殺害した2・26事件の際の戒厳令司令部が設置されたことでも知られています。

 終戦を迎えると軍人会館(九段会館)は、一九四五(昭和20)年九月には、連合軍に接収されて連合軍の宿舎になり、返還されたのは一九五七(昭和32)年一月でした。
帝冠様式の建物
 九段会館の屋根は気をつけてみると、城郭風の瓦屋根(写真下、右下)
がのっています。「帝冠様式」(ていかんようしき)呼ばれ、愛知県庁、名古屋市庁舎などにも採用されたといいます。鉄やコンクリートの西洋的な建物に日本の伝統的な屋根を載せ「国粋の気品を備え荘厳雄大の特色」「西洋は東化しつつある」などと喧伝され、日本の帝国主義的な侵略と軌を一にするものでした。帝冠様式は当時、「軍服を着た建物」という異名をもつ建築物様式として知られ、朝鮮、満州な
ど日本の植民地でも用いられたといいます














軍人会館だった九段会館
2.26事件  戒厳令司令部おかれる

東京非核政府の会ニュース 234号 07.3.20付掲載