文京区・千駄木
アクセス

東京メトロ(地下鉄) 千代田線
「千駄木」駅下車
団子坂を不忍通りを道潅山方向に5分、
右手に地蔵尊


町会ホームページに平和地蔵尊の案内図

 インターネットで東京の戦争遺跡を検索していたら、偶然、町会のホームページにでくわした。文京区千駄木三丁目北町会のホームページ。出来映えも見事なもので、珍しさもあってサイトを訪問させていただいた。その中に町内案内図があり平和地蔵が写真つきで掲載されていた。その地図を頼りに早速、平和地蔵尊を訪れてみました。
 地下鉄千代田線千駄木駅を下車して地上にでると団子坂下。江戸時代には団子をうる茶店があったことから名付けられたといわれ、明治末〜大正の頃には、植木職人や盆栽師が多数住み、二葉亭四迷「浮雲」、夏目漱石「 三四郎 」でもとりあげられたという。この団子坂下を道潅山方面(不忍通り)に五分も歩くと道角(右側)にめざす「坂下平和地蔵尊」がありました。

 
 
空襲で付近一帯で 五百人余が犠牲に

 一九四五年三月四日、B29爆撃がこの付近を襲い爆弾を集中投下しました。谷中、千駄木地域で死者五百人以上という大きな被害を受けました。



 この地域には、当時銭湯「鹿島湯」があり、その石炭貯蔵庫は付近の人たちの防空壕になっていました。この日は、赤ちゃん含む二十三人が防空壕に避難していました。B52の爆撃は、「鹿島湯」も直撃。赤ちゃんを含む二十三名の尊い命が奪われました。地元の方のお話では、犠牲になられた方の人数は正確には掌握できず、ことによったら二十三名よりも多かったかも知れないといいます。
 それから十四年後の一九五八(昭和34)年、地元の人たちによって、犠牲になった方々の冥福を祈り、二度と戦争を起こしてはならないとの誓いを込めて、この地に平和地蔵を建立しました。名付けて「坂下平和地蔵尊」。いまでも地蔵尊には花束がとだえることはありません。
 
 
戦争体験語り継いで十四年

 この地蔵尊建立に尽力した「平和地蔵尊を守り戦争体験を語り継ぐ会」は、一九九一年以来、戦争体験を語り継ぐ集いをひらいてきました。
今年は十五回目。四月十六日(土曜日)に開催を予定しています。