東急目黒線「目黒不動前」にほど近いところに、三百五体の羅漢像を擁する「目黒のらかんさん」として親しまれている五百羅漢寺があります。
この羅漢像は松雲元慶禅師が元禄時代に托鉢で集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたといわれ、東京都重要文化財にも指定されています。この名刹の一角に、「桜隊原爆殉難碑」が建立されています(写真上)。
「桜隊」とは、一九四五年一月に結成された移動演劇隊で、一九四五年六月広島県内を巡演中に被爆し、爆心地に近かったため九名の劇団員のうち五名が即死、残る四名も八月中に若い命を失いました。
毎年八月六日、五百羅漢寺の碑前で「桜隊原爆忌」が、近くの会場で「追悼会」が開かれています(写真下は昨年の桜隊原爆忌)。
「『桜隊』の悲劇を風化させずに、次の世代へと語り継ぐことが核兵器の廃絶や平和な地球の未来に平和な地球の未来につながっていくことでしょう」(「桜隊原爆忌の会」会長・中村美代子氏)との思いを抱き、多くの人が毎年参列します。
昨年の追悼会では、朗読構成「 桜隊2005」が、北村和夫(文学座)、南風洋子(劇団民藝)、有馬理恵(劇団俳優座)、神山寛(劇団俳優座・当会常任世話人)氏らによって上演され感動を呼びました。
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第二次世界大戦中、日本中を巡演した移動演劇隊は、戦意を高揚させる目的で内閣情報局の号令で作られました。当時は、演劇を上演できるすべがほとんどないため新劇俳優の多くが参加せざるをえませんでした。
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2005年度墓前祭 |
桜隊は、築地小劇場の創立メンバーであった名優丸山定夫を団長に、元宝塚スターで「映画無法松の一生」で全国のファンを魅了した園井恵子など総勢九名の編成でした。 その一人の仲みどりは、列車で東京に移動し東京の病院で死亡。初の「原爆症」と認定されました。
戦後、徳川夢声氏の呼びかけと多くの人々の協力で目黒の五百羅漢寺に「桜隊原爆殉難碑」が建立され、毎年八月六日に追悼会が催されています。
この桜隊は、本に編まれ、映画化され、舞台となりました。近年では新藤兼人監督映画「さくら隊散る」、新国立劇場の柿落とし(こけらおとし)に上演された、井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」などの作品にもなり、多くの人に戦争の痛ましさ、原爆のむごさを伝えています。
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2005年度墓前祭に参加した人たち |
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