台東区は、このほど「台東区平和史跡マップ」を作成しました。
これは戦災の記憶と平和の尊さを伝えていこうというもので、台東区内にある二十一カ所の戦災や平和に関する史跡がまとめられています。
この平和マップは、A3判のカラー両面印刷で、五〇〇〇部作成され、区役所や区民事務所などで配布されています。
その中からいくつかの史跡を紹介します。
戦時下の禁演落語53種と落語界の先輩を慰霊する「はなし塚」(写真上)が建立されたのは、一九四一(昭和十六)年十月です。戦時下の当時、落語会では、演題を甲乙丙丁に分類し、丁種には時局に合わないものとして花柳界や郭噺など五十三種を選び、禁演落語として自粛しました。この中には江戸文芸の名作といわれた「明烏(あけがらす)」等を含んでいます。これら名作と落語界先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、落語定席席主などの関係者が建立し、禁演となった落語の台本などがこの塚に納められました。
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谷中五丁目と浅草橋の柳北公園内には、「被爆柿の木(2世)」(写真左上・柳北公園の柿の木)がそれぞれ植樹されています。これは長崎で被曝した柿の木から樹木医が蘇生させ植樹したものです。これは、命の尊さと平和を愛する心を子どもたちと考え、行動することを願って植樹されたものです。 |
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三筋一丁目には、「被災電柱」
(写真右)があります。
これは、一九四五(昭和二〇)年
三月の東京大空襲の際に焼かれた電柱です。実物は東京博物館に展示されていて、ここには戦災の惨状が刻み込まれた電柱のレプリカが立っています。 |
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上野東照宮境内には、「広島・長崎の火」モニュメント(写真上)があります。毎年八月には、「『広島・長崎の火』を永遠に灯(とも)す会」(小野寺利孝理事長)がモニュメント前で原爆投下の時間にあわせて「広島の火のつどい」、「長崎の火のつどい」をおこなっています。広島の火は、被爆直後の広島の廃墟に燃えていた原爆
の火を、故郷の福岡県星野村に持ち帰った方が現代まで自宅の囲炉裏で火を灯し続けていたもの。
「ヒロシマの火」は星野村から、「長崎の火」は長崎の原爆瓦から採火され、上野の杜で合火されたものです。
境内には被爆の被害をパネルで展示されています。 |
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