映画人の墓碑、旧浅草国際劇場の鉄骨


 墨田区の多聞寺(たもんじ)は、隅田川七福神めぐりのひとつ、毘沙門天(びしゃもんてん)が祭られている名刹です。 入り口にある茅葺きの山門(写真右)は江戸中期の墨田区内最古の建造物です。

 





正面掲示板に
 「九条の会」ポスター

 寺の掲示板には、「憲法九条の会」のポスターが貼られています。

東京大空襲の証人
国際劇場の焼けた鉄骨

 山門をくぐると右手には、旧浅草国際劇場の屋根の赤く錆びた鉄骨があります(写真右下)。東京大空襲の直撃をうけた旧浅草国際劇場の屋根の鉄骨です。
旧浅草国際劇場も、当時、風船爆弾(和紙とこんにゃく糊で作製)の工場になっていました。風船爆弾のテストのために高い天井が必要だとして、東京有楽町の日本劇場(日劇、現在跡地は商業ビル「マリオン」)、東京宝塚劇場、有楽座、両国国技館などでも製作が行われ、女子学生が動員されたといいます。銘板には「(この鉄骨は)東京大空襲を、語り継ぐ、数少ない歴史的証人≠ナある。・・・戦争の実相を伝える証人たち≠ノ静かに、心を傾け不殺生の誓いを新たにしましょう」とあります。
 その隣には、「戦災証人」として、一九四五(昭和二〇)年四月十三日に爆撃をうけて焼かれた巨木(荒川区西日暮里一丁目二番地七=旧三河島四丁目で発掘)もおかれています。(右上)
平和を愛し民主主義を支えた映画人の墓碑

 境内の一角に黒御影の「映画人の墓碑」(写真右)があります。「映画を愛し、平和と民主主義を支え、人間の尊厳を守った人々、ここに眠る」と刻まれています。

 
合奏者のなかに エノケンの名も


 合奏者には、薄田研二、今井正、山本薩夫らとともに榎本健一(エノケン)の名前もあります。
 戦前、映画・演劇界にも否応もなく戦争の影響が色濃く反映し、戦意高揚に積極的に協力、あるいは協力させられ、戦争物一色になっていきました。

戦意高揚の風潮に
与しなかったエノケン

 そういう中でも「榎本健一一座」(座長榎本健一)の上演演目は「助六」、「勧進帳」などの歌舞伎狂言に加えて「鼠小僧」、「森の石松」など、戦時色とは無縁で戦争とは一定の距離をおいたものでした。警視庁の検閲係から映画の題名「ちゃっきり金太」の題名が問題にされ改名を指示され、大喧嘩になり、続編は文明開化の時代にはいるので頭を刈ったところから「ザンギリ金太」にしてしまったというエノケンらしい抵抗のエピソードがあります。
 また境内には、東京大空襲の犠牲者を追悼する「平和観音」もあります。
(本文は「東京の戦争と平和」(新日本出版))、「エノケン・ロッパの時代」(矢野誠一著、岩波新書)を参考にさせて頂きました。