プロ野球の日本シリーズも終わり今年の野球シーズンも幕を閉じました。
多くの人に愛されている野球も,かつては戦争に翻弄されました。
太平洋戦争の激化とともに、野球も「敵性スポーツ」とされ、一九四三(昭和18)年には、ストライクが「よし一本」、アウトが「だめ」などに用語が改正され、ユニホームはカーキ色の国防色にされました。
一九四四(昭和19)年一月九日には、日本野球連盟は、戦争協力のための日本野球報国会に改組され、選手は平日は軍事高揚の労働に動員され、試合は週末中心に開催されました。
プロ野球のメッカともいわれる後楽園球場の二階は高射砲陣地になり、試合前には選手による『手榴弾遠投』が行なわれたといいます。そして、多くの選手は軍隊に徴用され、少なくない選手が戦場で命を落としました。
やがて終戦。荒廃した終戦直後の国民を癒し生きる活力をあたえたのも野球でした。平和であってこそ野球ーそんな思いを持ちながら、当会事務所近くにある「野球体育博物館」(写真左)を訪ねました。
博物館はプロ野球だけでなく広くアマチュア野球、少年野球などの野球に関する展示物も豊富で、図書室には野球に関する蔵書は五万冊を超えると言います。野球ファンならずとも一度は訪れたいものです。
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博物館でひときわ目立つのが、「野球殿堂」の広い一室。殿堂入りを果たした一五九人の選手の肖像レリーフが展示され、黎明期の巨人、日本プロ野球界を代表する快速球投手として名を馳せた沢村栄治や景浦將に出会えます。沢村は徴兵によって戦地で手榴弾を投げさせられて肩を痛め、戦闘中、左手を銃弾貫通の負傷を負い、その後台湾沖で戦死しました。また沢村栄治と名勝負を繰り広げたタイガースの名打者景浦將は二度招集され、一九四五年五月二十日、フィリピン・カラングラン島で戦死(餓死とも言われています)しました。戦争で犠牲になったプロ野球選手を慰霊する「鎮魂の碑」(写真上)がドーム脇に建立されていて、ここにも足を運ぶことをおすすめします。そこには六十九名の選手の名前が刻まれていました。
また博物館内には「戦没野球人」モニュメントも必見です。戦争の犠牲になったアマチュア選手百七十三名の名盤が展示されています。その中には、昭和初期に「世紀の剛速球投手」といわれた楠本保(明石中)や大きなカーブから「三尺」とあだ名された左腕松井栄造(岐阜商)、夏の甲子園決勝で史上初のノーヒットノーラン(松坂大輔より先)を達成した嶋清一(海草中)などが名を連ねています。
野球体育博物館
場所 東京ドーム21ゲー ト右
開館時間 10時〜17時
※三月一日〜九月三十 日は18時まで
入館料 大人 四百円、
小・ 中 二百円
※団体割引あり
休館日 月曜日(祝日、 プロ野球開催日 などは開館)
年末年始(12月 29日〜1月1日)
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