ボクシング・元ウェルター級チャンピオン
小林秀一さんに聞きました

  ボクシング・ウェルター級前日本チャンピオンの小林秀一さんに非核・平和への思いをはじめ、青年や趣味に至るまでお話を伺いました。小林さんは国立大学出身の初の日本チャンピオンとして活躍。また家業の豆腐店の四代目を継ぎ、東商連にも参加。青年協議会議長としても奮闘中です。
 聞き手は、鈴木章治常任世話人。


原水爆禁止世界大 会に参加


 
今日はお忙しいところありがとうございます。小林さんは今年の原水爆禁止世界大会にも参加されましたね。

 本当は、毎年行きたかったんですが時間がとれずに昨年もメッセージだけだったんです。今年は被爆六〇周年で、「青年のつどい」もあるということで参加しました。
 文京民商の事務所で、旧ソ連のセミパラチンスク核実験被害者の写真を見てたいへんな衝撃をうけました。コピーして店先(豆腐店)に張り、核廃絶署名用紙も置いたほどでした。
 また、今年の七月に沢田昭二さんや川田忠明さんの講演を聞く機会があり、核兵器の恐ろしさや日本の憲法九条は、悲惨な戦争体験から生まれたこと、アメリカが核兵器を十八回落とそうとしたのを抑えたのは、世論と運動の力だったことなどを聞き、核廃絶の運動の意義を改めて感じました。また原水爆禁止世界大会に参加して、平和祈念公園の「過ちは繰り返しませぬから」の文字を見て改めて憲法九条は、日本が起こした戦争への反省から生まれたものだと感じましたね。
 世界大会の書籍コーナーで森住卓さんの写真集をみつけて、手にとってページをめくったら、一ページ目にセミパラチンスク核実験被害者の写真があったんです。すぐ買い求めその夜全部目を通しました。ここでも核の悲惨さを知り核兵器廃絶への思いを強くしました。
 峠三吉さんの「人間をかえせ」の碑はあらためて人間社会と核兵器は相容れないと感じさせました。こうしたことは今の教育では教えません。アメリカが今なお核兵器の開発を続けています。ですから戦争に反対し、核兵器廃絶の運動をもっと広げなければと思います。

 
東京大空襲のこと


 
お店のこのあたりも東京大空襲がひどかったと思いますが。

 店は大正二年からやっているので創業九十二年になります。私が四代目です。東京大空襲のことは、父からこのあたりもひどかったと聞きましたが、当時は、ずーっと大昔の話しという感じでした。いま三〇才になってみると、そんな昔のことではなく最近のことなんだと受け止めるようになりましたね。海老名香葉子さんの東京大空襲を描いた新作アニメ「あした元気にな〜れ!−半分さつまいも−」や有原誠治監督の「アンゼラスの鐘」など見て戦争は止めさせなければという思いを一層強めています

スポーツには
 国境がない

小林さんは「スポーツ九条の会」でも活躍されていますね。「スポーツは戦争を拒否します」アピールの呼びかけ人にもなられましたが。


 アピールを呼びかけた十六人の中では私は若い方ですね。本来スポーツの役割は平和主義でオリンピック開催中は戦争をしないことが約束でしたがこれが風化してしまい、国の権威を背負ったものに変わってしまっています。
 在日朝鮮人ボクサーの徳山昌守選手が韓国選手との防衛戦を韓国でたたかったとき、南北統一のメッセージを掲げた徳山選手を韓国の人々が応援する姿を見て「スポーツには国境がない」ということを実感しました。自分としても相互理解の懸け橋となるスポーツを広めていきたいとスポーツ九条の会の集会で話したことがあります。

 
青年たちへの思い

 
新聞紙上で青年たちの悩みなどの相談にものっていますね。

 昨年の四月から引き受けているのですが結構難しいですね。いま将来への展望がみえない、なかなか一歩が踏み出せないで悩んでいる青年が多いことが気になります。私の場合はどちらかというと進路問題の相談が多いですね。相談してくる人はそれなりの自分の考えを書いてきますので相談者が「こうしたい」と思っていることを「後押しする」ことにして「こうしなさい」とは言わないようにしています。私自身がうまくアドバイスできないなと思ったときも相談者の立場や気持ちを理解することに徹して対応しています。相談者と同じ悩みを抱えている人は相談者の後ろに数多くいますからそういう人たちのことも考えて対応しなければと苦心しています。
  高校生など若い人たちともふれあうことが多いと思いますが。
 平和集会などに来ている人たちの一生懸命さを感じますね。自分で「こうしなければ」と思ったとき、若い人は行動するのではないかと思います。この一生懸命さは大事にしてあげたいですね。多くの高校生たちは「(平和の問題などに)関心がない」というより「知らない」からではないでしょうか。学校ではなかな知らせないし私達が考えないといけないことでしょうね。

 

      
 
消費税増税は許せない

 
小林さんは東商連青年協議会議長としても活躍されていますね。

 いま東商連も高齢化が進んで大変です。
 こうした中で仲間を増やし業者青年の要求にこたえられる青年部を目指しています。昨年でしたか青年部が一割も増えたんです。フリーターなど、どこにも行きようがない青年が自分で開業して私達の働きかけにこたえて民商に入ったんです。しかし、現実は厳しく最初の一年で三割の人はやめざるを得ないというのも一方ではあります。この背景には小泉「構造改革」があってこれは「弱いものを切り捨て」そのもので業者を直撃しています。消費税というのはその典型ですね。小さい店では仕入れは高く売値は安くということで儲けはほとんど出ません。しかし売り上げに消費税がかかってくるので納めざるを得ません。これが一〇%になったら大変なことになるのは目に見えていますのでなんとしても食い止めなければと思います。

反射式望遠鏡を自作
子どもたちと観察会

  大学では地球惑星科学科を学ばれたとのことですが

 子どものころから宇宙に興味があって天文学者を夢見ていました。元来宇宙開発は軍事目的から出発しているんですね。今でも山奥などで夜空を見上げると人工衛星を見ることが出来ますがこれは喜ばしいことではありません。いままでも買って貰った望遠鏡で天体観察を続けていたのですが月の表面などをもっと細かく見てみようと昨年反射式望遠鏡を自作したんです。口径二〇〇ミリ、焦点距離一六〇〇ミリで全部自分で計算し約一ヶ月かけて反射鏡を磨き上げ精度は市販品以上の高精度です。筒も設計しこれは東商連のなかまに作ってもらったのですができあがり昨年九月に初めて土星を見たときいままで見たことにないような土星像があり感動しましたね。今毎月自宅の屋上で近所の人たちに呼びかけて天体観察をしていますが子供たちやお母さん、おじいさんたちに結構人気となっています。今年の8月には大学教授でもないのに駿台高校(北区・王子)の天文講座に呼ばれて「星のチャンピオンを求めて」と紹介されて宇宙や天体観測の魅力についての話しをしました。天体観測はつきることがないほど魅力がありますのでこれからも続けます。

レパード玉熊選手に感動ーボクシングの道に

 
ボクサーへの切っ掛けはなんでしたか

 もともと小さいときからスポーツが好きで水泳、卓球などやっていました。高校の時たまたまTVでレパード玉熊選手がKOで世界チャンピオンになった試合を見てすごく感動したんですね。ところが大学に入ったらボクシング部がなく先輩の薦めでボート部に入ったのです。大学を卒業し両親が苦労して続けている豆腐店を継ごうと決めたとき、レパード玉熊選手が引退してジムを開くときいていろいろ悩みましたが「今やりたいことは何か」と言う自分の思いを優先してボクサーになったのですが大学時代のボート部で鍛えた持久力は大いに役立ちました。十五戦目に日本チャンピオンになりましたが恵まれた方だと思います。現役時代は夜中の一時に起きて店の仕事を八時頃までにすませ、その後少し昼寝をしてから四時間のトレーニングというスケジュールでやり抜いてきました。

 
豆腐をもって
 災害地に支援

 
中越地震では作りたてのお店の看板商品の「久間吉豆腐」や「がんもどき」を現地に届け喜ばれたと聞きますが

 祖父(久間吉さん)の出身地が小千谷なんです。そんなことがあって中越地震では「久間吉豆腐」と「がんもどき」を送ったり、実際に現地に足を運びました。 震災から一年もたつ社会の関心も薄れてしまうのが残念で、実は、今年も救援に行こうと、文京の青年に呼びかけました。そして、この一〇月半ばかと思いますが魚沼市で選挙があり文京から青年が二人応援に行っています。
 私も行きたかったのですが都合がとれずいけなかったのでもう一度足を運んで豆腐を届けたいなと思っています。

 
どうも有り難うございました。多彩な分野での活動をこれからも大いにお続け下さい。